陸奥国と出羽国には蝦夷(えみし)が住み、毛人とも書かれましたが、陸奥国では蝦夷、出羽国では狄(てき/北方の異民族の意)の字も使われたようです。斉明五(659)年秋、斉明天皇は陸奥の蝦夷男女二人を唐に派遣した使者に伴わせていますが、唐の皇帝が蝦夷の種類を使者に問うと、使者は遠くに居住している蝦夷を「都加留(つかる)」、次のものを「麁蝦夷(あらえみし)」、近いところに居るものを「熟蝦夷(にぎえみし)」と答えています。「都加留(つかる)」は「津軽」で津軽地方の蝦夷、「麁蝦夷」は岩手県辺り、「熟蝦夷」は宮城県黒川郡以北の蝦夷のことでしょう。このように東北地方の各地には蝦夷と呼ばれた先住民が住んでいましたが、これらの朝廷に服しない異民族を京では「エミシ (蝦夷) 」と呼んでいました。
出羽国にも陸奥国と同じように“エミシ” (出羽国では蝦夷を狄と書く)と呼ばれる人達が住んでいましたが、なぜエミシと呼ばれるのか、その語源については次の諸説があります。主な説としては①アイヌ語で人を意味するエンジュなどがヤマト言葉でエミシ、エビスになったとするアイヌ語説(東大教授・言語学者、金田一京助氏)、②弓矢にすぐれた武人の意味で弓人(ユミシ)と呼んだのがエミシに転訛したとする弓人(ゆみし)説(東北大学名誉教授・文学博士、高橋富雄氏)、③エミシという日本語の古語があったのではないかとする古日本語説(福島大学教授・文学博士、東北歴史博物館館長、工藤雅樹氏)などですが、現在も定説はありません。
蝦夷が刀を持っていたことは『日本書紀』景行紀四十年夏六月条に、「東夷は生まれつき強暴で、その東夷の中の蝦夷こそもっとも強い。箭(や/矢)を束ねた髪のなかに隠し、刀を衣の中に佩びている(大意)」と平定に向かう日本武尊に景行天皇が説明した記事があります。天皇がわざわざ蝦夷は刀を佩びていると話したのは、刀(エムシ)を佩びているのが蝦夷の大きな特徴だったからでしょう。その刀(エムシ)が戦闘用ではなく狩猟用に用いられたような刀だったことは、景行天皇が話したように刀が衣の中に佩びられる位の短い刀から類推できます。
先住民は自分達のことを“アイヌ”と呼びました。それは神に対しての“人”という意味で使われました。先住民は自分達のことを“アイヌ”と呼び、和人はその先住民を指して“エミシ”と呼んだのです。“エミシ”はアイヌ語の“エムシ”が転訛したものと思われますが、“エムシ”はアイヌ語で「刀」をいいました。「刀」を佩びた先住民を見た和人は、その先住民を指して“エムシ”と呼んでいたのがいつのまにか“エミシ”に転訛し、その“エミシ”がアイヌを指す代名詞になり、蝦夷と書かれても“エミシ”と読まれるようになったと考えられます。
蝦夷の字は“カイ”と読めますが、なぜ古くから列島にいた先住民をカイと呼んだのかというと、“カイ”は“ケ(毛)”の当て字で、毛深い先住民を見た和人が“ケ、ケエ”と呼んだのが“カイ”に転訛し、その“カイ”の当て字が蝦夷の字だったと思われます。蝦夷をカイと発音したことは『白鳥伝説』の著者民俗・地名学者の谷川健一氏によると鎌倉初期の『伊呂波字類抄』にあることから、蝦夷は“ケ・ケエ”の当て字と推測されます。蝦夷と書いて“エミシ・エゾ”などとも呼ばれているのは、アイヌの本質が変わっていないことを示しているようです。
なお、平安時代になると蝦夷は“エゾ”とも呼ばれるようになりますが、これは蝦夷に対する蔑称でしょう。“エゾ”は“イ・ゾウ(夷族)”が転訛したもので、夷(い)は東方の未開人・異民族のこと、「ゾウ」は古語の「族」なので、“エゾ”は「東方の未開族」を指した意味の言葉と思われます。
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